大工さん紹介の第1回は、コアーの専属大工さん第一号となった横田棟梁です。

ダンディー横田棟梁は、昭和26年岡山県で農家を営むお家の次男坊として生まれました。
勉強が苦手だった横田少年は、ご両親から「でーく(大工)か、しゃかん(左官)になるしかない」と
言われて育ちました。
たまたまお母さんの友人の弟さんが大工さんをやっていた繋がりで、15歳で単身大阪に出てきます。
そこで黒江親方という人に付いて修業を積みました。
この修業期間に木造の家づくりを学びます。
会社は八尾にあったそうですが、現場はほとんどが熊取でたくさんの平屋風のお家を作ったそうです。
その頃作っていたお家は、土地付きで150万でした。
そしてその時の給料が手取りで約7千円。(約50年前です)
別にこんなものかと思っていたそうです。
親方の下で勉強し、10年後に独立します。

そしてその頃、ダイヤシステムハウジングの下請けとして働いていたところで、現場監督だった吉瀬社長と
出会います。
若かった社長とずいぶん一緒に飲み歩いたそうです。
そしてその後、社長が独立し、横田さんのところへ弁当を持って「うちの専属大工になってくれないか?」と
勧誘に来ました。
あまり深く考えずに、OKしたそうです。
それから約30年にわたり、仕事を途絶えること無く持ってきてくれた社長には感謝しかないとの事でした。
社長との思い出では、同僚の大工さんが完成させた門屋を、社長はどこが気に入らなっかったのか分からないが
「壊せ!!!」と言われ、一からやり直したことが忘れられないと言っていました。
その頃からやはり社長には、「こだわり」があったのでしょうね。
先日の新年会では、「あと10年頑張る!」と言っていた横田棟梁、身体が元気なうちは大工さんには定年が
無いので、あと10年と言わず、さらに伝統の技を後輩に伝えていって欲しいです。 (佐野)


大阪で自然素材・国産材等、環境に配慮した注文住宅の木の家を建築するならコアー建築工房にご相談下さい