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大津神社 ”地鎮祭” 予約再確認 準備!

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 こんばんは!  住まいの相談室です! 

今日は、3月15日(日)に、 とっても素敵なご家族様からご縁を頂き、氏神様に、

地鎮祭の予約と、その実施準備、段取り打合せに行って来ました。

宮司様に許可を頂き、お参りして来ました。 また 写真の許可も頂き、撮影しました

その写真を紹介致します。 近くに来られた時は、お参りください。

 

大津神社の歴史概要

大津神社(おおつじんじゃ)は、大阪府羽曳野市高鷲にある神社で、延喜式神名帳

に記載されている、河内国丹比郡式内社。 厄除開運、縁結び、安産、家内安全、

交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。おついたち

(一日)は一日参りで賑わうが、平素は人通りが少なく、静かである。羽曳野市内の氏

神様として認識されている

 

由緒[編集]

大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇(885~930)の御代に編纂された『延喜式』

(927)に 「大津神社三座鍬・靱」と明記されている由緒の古い神社で、「丹下の郷の

大宮」と称えられていた。 応仁天皇(4 – 5世紀はじめ)の御代に、文字をはじめ各

種の大陸文化が朝鮮半島を経由して我国に伝来した際、当河内地方は難波の港と

大和を結ぶ要路であったことから渡来人が土着し、荒地を開拓し産業を興して、遂に

河内文化の繁栄を見ることに至った。 当時、この地方には、百済貴須王(近仇首王)

の子孫といわれる「葛井氏・船氏・津氏」の三氏が勢力を張っており、この三氏のうち

津氏一族がこの地をトして「大宮山」と称し、自分達の守護神を奉斎したことが「大津

神社」の発祥だろうと云うのが古来からの定説である。 このように、大津神社は津氏一

族の守護神として創祀されたが、津氏一族が朝廷に召されて大和に移住し、また時代

の推移に伴って氏姓制度が衰退していくと、中世以降には、大津神社はこの地方九ヶ

村の人々の「氏神」として受け継がれ、「河内の大宮」と称えられた。 その後、仏教の

隆盛に伴い、『本地垂迹説』に基づいて「午頭天王社」と称し、境内に宮寺真言宗

大宮山南之坊を設けて神仏混淆となり、社僧の支配を受けることとなる。広く世の人

々からは、「北宮の午頭さん」と称えられ、親しまれた。 明治維新になると、新しい神社

制度が定められ、神仏混淆が厳しく禁じられたため、高鷲・埴生両村の氏神として明治

5年5月村社に列格され、「神道大津神社」となった。 第二次大戦後は、占領政策の

神道指令によって国家の管理を離れ、昭和21年6月2日、宗教法人令に基づき神社

本庁所属の「宗教法人 大津神社」として発足、現在に至る。 今日では、羽曳野市

西部、南西部、広域の氏神(産土神、鎮守神)として崇敬されている。

 

                           フリー百科事典引用:感謝

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                 住まいの相談室(技術管理部)y:松永

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