皆様こんばんは! 住まいの相談室です!
明日は 会社の初出 …全員が出社致しますが、本日は、幹部で参拝!
新春の初祈祷に行って来ました。
祝詞奏上を頂き 鈴祓いを頂き、身心を清浄頂きました。 ”感謝”
どうぞ 今年も相変わらずの お付き合いを宜しく お願い申し上げます。
歴史
伝承[編集]
記紀には、次の記述がある。大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りを
していたが、大国主が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために国造りなかばにして
少彦名神は常世に帰ってしまった。大国主神が「この後どうやって一人で国造りをす
れば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂
(和魂)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は
御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神である。
崇神天皇5年から疫病が流行り民が死亡し、同6年には、百姓流離し国に叛くものが
あって、憂慮した天皇は、天照大神と倭大国魂神を祀るが安からず、天照大神を
豊鍬入姫命に託して笠縫邑に祀り倭大国魂神を渟名城入媛命に託して祀るが
髪が抜け落ちてやせ細り祭祀が出来なくなった。 同7年2月、巫女的な性格を持つ
倭迹迹日百襲媛命に憑依して、大物主神を祀れば平らぐと神懸りし、その後、
天皇に大物主神が夢懸りして現れ、その神託に従って同7年11月に物部連の
祖伊香色雄(いかがしこを)に命じ、磯城彦後裔である三輪氏の祖である茅渟県
(ちぬあがた)陶邑の意富多多泥古(大田田根子)を探し出して祭祀主として
大物主神を祀らせた。その結果、国内が鎮まり、五穀豊穣して百姓が賑わった。
概史[編集]
国史には奉幣や神階の昇進など当社に関する記事が多数あり、朝廷から厚く信仰
されていたことがわかる。貞観元年(859年)2月、神階は最高位の正一位に達した。
また、『延喜式神名帳』には「大和国城上郡 大神大物主神社 名神大
月次相嘗新嘗」と記載され、名神大社に列している。 …(フリー百科事典引用)
住まいの相談室(y:松永)
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