今回は、戸高組をまとめる戸高恵一棟梁を紹介します。

戸高恵一さんは、昭和28年11月に宮崎県西臼杵郡に生まれました。
父親は地元では有名な大工さんで、恵一さんも自然と大工さんになるという思いがあったそうです。
小学校4年生の時に家族全員で大阪の阿倍野区に引っ越してきました。
恵一さんは中学卒業後、お父さんの見習いとして大工さんの道を歩み始めます。
そして若干20歳にして戸高工務店を受け継ぎます。
大工さんとしての資質があったのでしょうね。

昭和63年頃、旭日工務店の仕事をしていた時にダイヤシステムハウジングにいた社長と出会います。
今でも覚えていることが、旭日工務店の経営が傾いて来たと思われた時に、社長と一緒に、建てたばかりの
奈良の現場を見に行って、そこがもぬけの殻だったことです。
お金も払わずに夜逃げされました。
帰りの道中は2人してさぞ暗かったことでしょう。
その後は同じ「あさひ」でも、朝陽工務店というところで働き、そこで数寄屋造りの家をたくさん作りました。
数寄屋造りとは、茶室を取り入れた住宅様式ですので、かなり豪華なお家と言えます。
だいたい60坪から80坪のお家が多く、坪100万は当たり前の時代でした。
そこでの経験が今でも役に立っています。

平成6年頃から、コアーの仕事をやりましたが、初めは1回だけの付き合いだと考えていたそうです。
ところが社長から続けて仕事をもらうようになり、その頃の朝陽工務店の同僚の大工さんを引き込んで
仕事をするようになりました。
今でも恵一さんのお兄さんの順一さんや向野さん、仮谷さんがコアーの専属で働いてくれています。
それから途絶えることなく仕事をくれる社長とコアーには感謝しかないとの事でした。

もう恵一さんもかなりなベテランで、これからは若手の育成を考えていると話されていましたが、
その方法を聞いてみると、「コアーのやり方を教えていくことが大事」とはっきり言われました。
仕事だけではなく、何故それをやらなければいけないのかを理解させること。
大工さんが同じ方向を向いていくことが必要との事でした。

最近は、大工さんの仕事だけではなく、家具の設置もお願いしてやってもらっている恵一さんですが
それについて聞いてみると、「新しいことをやるのは喜び」とかなり前向きな答えが返ってきました。
コアーの家具は、尾山工芸さんというところに依頼して作成してもらっているのですが、尾山さんの
仕事っぷりにはかなり刺激を受けたようで、「説明した以上のものを作ってくれる」と尾山さんとの仕事を
楽しんでいる様子がうかがえました。
今後は、「家具作りと大工の融合」という壮大な夢を持っているそうです。

コアー建築工房について聞いてみると、「なんでも対応できることが強み」と言われ、それは木造は当たり前で、
鉄骨でもRCでも対応できることを生かさないといけないと言われました。
普段は冗談ばかり言って、ちょっと強面の恵一さんですが、コアーのことを真剣に考えてくれていることが
よく分かりました。
息子さんの清之君もコアーで頑張ってくれているし、戸高組はこれからも安泰ですね。 (佐野)