古民家大好き、梅谷です!
本日は、素直にタイトル通りです。
本来の堺は、中世に栄えた環濠都市。
内川、土居川は今も形を変えて残る濠の一部です。
出展:堺市ホームページ
太平洋戦争末期、大空襲で堺旧市街のほとんどが、焼け野原となってしましました。でも北部辺りでは、空襲被害を免れたところがあり、古い町屋が所々に残っています。冬めいた日が増えてきた11月のとある日曜日、昭和17年に堺市に合併されるまでは、周辺部の農村であった深井北町に住む私 梅谷が、ガチの堺を歩いてきました!
※ヤフー地図を使わせて頂いております
赤丸で囲んだ辺りが、今回歩いてきたところです。
古い地図とは、向きが少し違っているのですが、海側の内川の一部は同じ形で残っているのが分かります。内陸側の土居川は埋め立てられて道路(一般道路の上に高架の阪神高速が通る2重構造)となっていますね。
旧市街を南北方向に貫くように、阪堺線が通っていますが、路面鉄道から砂利敷きに敷設された鉄道に変わる場所にある「綾ノ町」駅から散策スタートです。
車は、駅のすぐそばのコインパーキングに停めました。ここは街区の南西隅辺りとなります。
道路は碁盤の目のようになっているため、当初は北へ上がっては一筋ずらし南へ、街区の南端へ着いたら、また一筋ずらして北へ、と歩いていたのですが、そのうちいろんなものに気が散り、徒然なるままに散策へと変わっていったのでした。
この先、たくさんの風景などをお見せして行きたいのですが、上記の理由で途中からは順不同と思ってください、悪しからず。
まず、目に飛び込んできたのは、昭和的なお店。
情報はないのですが、こんな店構えのパン屋さん、きっと美味しいに違いない!
堺と言えば、鉄砲鍛冶。
え
江戸幕府の御用鉄砲鍛冶 芝辻理右衛門家、だそうです。
鉄砲鍛冶の技術が、刃物や自転車製造へとつながってゆきました。
つづいて、とっても昭和な診療所。
「三丁目の夕日」の宅間先生みたいな、昭和の子供たちにとっては悪魔のように怖いお医者さんが、嫌がる子供たちに愛情こめて注射を打ちまくっている所、といったイメージかな。
懐かし系のお店、連発で行きます!
私のように、昭和を長く生きてきた世代の者にとっては、胸がキュンとなる街並です。
所々に、こんな感じで歴史深い系が残っています。
美しく再生され、未来へ記憶をつなぎます。
資料館みたいなのがありました!
看板、読みづらい。。。
堺と言えば、これも!
先ほども少し触れましたが、刃物産業が有名ですよね。
この街区では、唯一の案内看板かな?
割と、大ざっぱ感がありました。
続いて、町内掲示板。
「ふれあいまつり」20回目です。この記事をアップしたときには終わっていますな、今年の分は。
その他の建物や街角風景、連発でどうぞ!
昔、母方の叔父の家が旧堺にあったのですが、その家も道路に面して格子窓が付いていたのを覚えています。
玄関横の軒下に並べられた鉢植え。この何気ない情景が、私の心に刺さる!のです(鉢類が樹脂製なのはイマドキではありますが)。
格子窓と共に、私にとっての日本の下町原風景ですね。
街区の西端までやってきました。
内川の北の方は、きれいに改修されております。
河川敷までスロープで降りて行けるようになっており、内川の水辺と親しめるようになっておりました。
内川橋から内川を見下ろした風景。
紅葉が美しかったです!
今回歩いた街区の南側になるのですが、重要文化財の古民家「山口家住宅」があります。そちらにも足を延ばしました。
本来の日本家屋は、外壁に杉や桧を張ったりすることが多いのですが、年数が経って変色したり傷んできたりしても、それが汚らしく見えないのがすごい、と私は思うのです。むしろ、建物の佇まいに美しく調和してくると言えましょう。ああ。古民家は素晴らしい!
堺市のホームぺージによると、
「山口家住宅は、平成19年から文化財建造物としての整備を進め、平成21年から「堺市立町家歴史館 山口家住宅」として公開しています。
山口家住宅の主屋(おもや)は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸時代前期の町家のひとつとして重要文化財に指定されています。
敷地内には主屋の他に安永4年(1775)建築の西土蔵、寛政12年(1800)建築の北土蔵があります。」
となっています。
が、只今工事中で一般公開はお休み、残念。
駐車場にも戻るため、山口家住宅を後にして、再び元の街区方面へ。
古いアーケード商店街が目に入ったので、突入。
やはり、ここも全国の商店街と事情は同じようで、閉店ガラガラ状態。
それだけに、北側出口角の八百屋さんの、張りだしまくった商品陳列が印象的でした。末永く頑張って頂きたいものです。
八百屋のすぐそばにこんな施設が!
ブラジリアン柔術道場!
グレーシー一族で有名なアレですよね。かなりマニアックかと思うのですが、練習生は集まるのでしょうか?
最後に、とても気になった扉の写真をご覧ください。
扉に青、その横のコンクリートブロックに白のペイント。カリブの街の建物を連想させるような色使いにハッとさせられ、シャッターを切りました。
まさに国際都市 堺! ですね(笑)。
さて今回も、長々と書いてしまい、すみません。
私の趣味的な話にここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます
旧堺の北の方には、古い町屋が残っている、ということは聞いていたのですが、近くにありながら、いままで行く機会がなかなかありませんでした。
実際に訪れてみた印象は、「なかなか見どころが多いじゃないか!」です。良い意味で予想を裏切りました。来てよかった!
ほどよいレトロ感と、緩やかな街の雰囲気は、私の心を和ませてくれたのでした。
繁栄に彩られた国際都市「堺」の栄光の歴史は、市民の誇りです!
まあ私は、堺市に合併されるまでは、繁栄の歴史と関わりのない周辺の農村だったところの住民ですが。。。
(梅谷)