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堺と、百舌鳥古墳群と、コアー建築工房

コアー建築工房は、堺市で創業以来、地元密着を基本スタイルとして営業を続けてまいりました。堺といえば、かつては「物の始まり なんでも堺」と言われた日本第一の文化先進都市。そして、近年の話題といえば、何といっても「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されたこと、ですね。本日は、堺の古墳に関する話です。

 

堺市内にあるのが「百舌鳥古墳群」。古墳時代、この一帯には100基を超える古墳が造られました。ところが戦後の経済成長期、開発の波が押し寄せてきて、古墳が次々と破壊され、住宅地へと姿を変えていきました。現在残っているのは4世紀後半から6世紀前半につくられた44基。半分以上が「現代人」の都合で消えていったのですね。

百舌鳥古墳群といえば、「仁徳天皇陵」や「履中天皇陵」といった巨大古墳が有名ですが、これらは他でも紹介されることが多いので、ここではマイナーだけど、もっと身近な古墳を紹介したいと思います。

コアー建築工房がある中区東山の少し北、北区百舌鳥陵南町に「綾南中央公園」という、災害時一時避難地の機能を有した近隣公園があります。

ご覧のように、緑豊かな(ちょっと鬱蒼とし過ぎ)な公園なのですが、この森の中に2基の小さな円墳「正楽寺山古墳」「ドンチャ山古墳」があるのです。

「世界遺産登録」の施設整備はこんな場所までに及び、石碑や説明看板が設置されたので、私は初めてこの小さな古墳たちの存在を知ることが出来ました。今まで何度もこの公園を訪れていましたが、この看説明板が出来るまでは、そこはただの地面の起伏という認識でしかなかったですから。。。

看板の説明図をアップにしましょう。

近くには.メジャー所の「ニサンザイ古墳」があります。この図によると、公園内の2基より規模の大きい古墳が消えて無くなったことが分かります。大切な文化遺産のはずなのに、残念な話ですね。

 

もう一つ、マイナー地元密着古墳いってみましょう!

北区百舌鳥梅町にある「定の山(じょうのやま)古墳」です。

この小山は、帆立貝型前方後円墳の後円部に当たります。

現在、ここは「城の山(なぜか字が違う)公園」として整備され、登ることの出来る古墳となっております。

墳丘長69m、後円部径53m、高さ7m、前方部幅23.5m。周濠跡も確認されている堂々たる規模の古墳だったようですが、1968年の地区画整理事業により、墳丘の一部破壊され著しく変形してしまったことがあります。その時、墳丘部分の発掘調査行われ、その重要性から保存されることとなり、破壊変形された部分は復元され、公園として生まれ変わりました。

先の写真は、今年の1月末ごろに撮ったものですが、小山の中腹にある、やや大振りの木は、冬場の葉も花もない時期の桜です。じつはこの桜の木、2018年の台風21号の暴風で多くの枝が折れて、樹形が変わってしまいました。2020年春に花が咲いた時の写真を撮ってあったのでご覧ください。

台風に襲われる前の、見事な枝ぶりの時の写真も撮ってあったのでご覧ください。

ちょっと切ない、、、

これらの古墳以外にも、東上野芝町一号古墳、鏡塚古墳、経堂古墳など「え、これ古墳?」と思うような、小さくて街並みに溶け込んでしまっている古墳があるようです(私、まだ行っていません)。以前だと、どれが古墳なのか分からなかったでしょうが、今は看板が設置されているはずなので、行けば分かる!はずです。ご興味が湧けば、どうぞ!

 

4世紀後半ごろからの歴史を持つ古墳群に比べれば、コアー建築工房の歴史は、まだ三十余年。それでも、堺でたくさんのご縁を頂き、たくさんの家を建てさせて頂きました。顧客リストを紐解いてみると、堺市内に455軒(内 住宅再生などリフォームは138軒。いずれも2022年3月現在引き渡し済み分)ありました。堺に残っている古墳は44基なので、数の上ではおよそ10倍。コアー圧勝です(笑)。

堺では、すぐそばに古墳があるのが当たり前であるように、コアーの家も、存在を主張し過ぎず、街並みに溶け込むように、今後も増えていったらいいな、と思います。

地元の皆様ありがとうございます。今後共、どうぞよろしくお願い致します。

(梅谷)

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