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社員食堂のアイドル 「塩ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

今回は、コアーの社員食堂のアイドル「塩ちゃん」を紹介します。

塩崎さんは、昭和26年に佐賀県で生まれ、高校卒業まで佐賀で過ごします。

小学校低学年から誰にも負けないくらい足が速く、その運動能力を見込まれて

5年生の時に、学校の先生から新体操に誘われます。

そのまま新体操を続けますが、中学1年の時に東京オリンピックの体操のチャスラフスカ

を見て、その姿にあこがれ体操競技に転向します。

そこからメキメキ力を付けて、中学2年生の時には佐賀県のチャンピオンとなりますが

中学3年の時に厳格な父親から「高校へ進学するのに体操などしなくていい!」と言われ

体操をあきらめかけました。

ところが体操の先生が自宅まで来てくれて、父親を説得してくれたおかげで続けることが

出来ました。

このチャンピオンをめぐって、数々の高校が勧誘に来ますが、その中から自宅から近いと

いう理由で、私立清和高校へ特待生として進学します。

高校生になってからもチームの主力として,3年間九州大会への出場を勝ち取りました。

そして大学へは、体操ではなく学力で長崎県立女子大へ進学します。

そこでも体操を続けていましたが、2年生の時にアキレス腱を切り、選手生活を終え

次は体育の先生として指導者への道を目指します。

無事に大学を卒業し、3年間中学の先生として働きますが、初めてのお見合いで隣町の人と

結婚することとなり、それから波乱万丈の人生が始まります。

ご主人が中華料理人で大阪でお店をしていたこともあり、結婚してすぐに大阪に来ます。

そこでご主人の手伝いをすることとなり、調理師の免許を取りました。

順調に見えた結婚生活ですが、ずっと我慢の連続であったことが耐えられず、7年で

結婚生活が終わります。

そこから一人娘と一緒に大阪での生活が始まります。

順番は確かではなく、仕事がかぶっていた時期もありますが

・塾の先生     5年

・経理       6年

・トラック運転手  4年

・看護助手     4年

・居酒屋経営    5年

・クラブのチーフ  5年

・引越センター営業 3年

・喫茶店経営    7年

・学校給食の調理士 1.5年

・銀行の調理士   1.5年

などいろいろな職業を経験します。

22年間にわたり、子育てと生活の両立は大変な苦労があったことと思われます。

そして平成16年に今のご主人と再婚し、平日はコアーの食堂で働き、土日には松阪市まで

行って、「塩ちゃんの味噌ラーメン」を作っている働き者です。

コアーの食堂に来ることになったのは、直前まで働いていた銀行の食堂からの

口利きだったと聞いています。

最近では、娘さんがコアーでお家を立てて下さり、コアーとは切っても切れない縁となった

塩ちゃんでした。  (佐野)

 

 

 

 

 

 

 

 


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