竹田城跡
竹田城跡は、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」
とも呼ばれ、国の史跡に指定されています。標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築
かれ、主に晩秋には雲海が発生することから「天空の城」や「日本のマチュピチュ」とも呼
ばれています。また、400年もの間、石垣が当時の姿のまま現存する山城として日本屈指
の規模となっています。
松山城
松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸にのまる(二之丸史跡庭園にのまるしせきていえん)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城です。
加藤嘉明かとうよしあき公こうが1602年から築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭で、「現存12天守」の中では、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新までの235年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。
道明寺
道明寺は7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺です。
土師氏の後裔である菅原道真公が、太宰府下向に際して伯母の覚寿尼を訪れたゆかりの地です。
建立当初は現在の道明寺天満宮の南側参道付近に位置し、現在も塔心礎が残っています。
その後、戦国時代の戦火や江戸時代の石川の洪水による荒廃が原因で道明寺天満宮の境内地
に移り、さらに明治時代の神仏分離令に よって現在地に移されました。 国宝である本尊の十一面
観音立像は毎月18日と25日に拝観することができます。関西風桜餅(道明寺餅)など和菓子の材料
として知られる「道明寺糒」「道明寺粉」発祥の寺としても有名です。
吉野山(金峰山寺:蔵王堂)
金峯山寺は吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳
(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味。山上ヶ岳にある大峰山寺への玄関
口の役割を持っています。創立年代は不明ですが、その昔、役行者が金峯山を開き、平安時代
に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したといわれています。以降、中世において隆盛をきわめ、
現在も金峯山修験本宗総本山として偉容を誇っています。
蔵王堂は、金峯山の高台にそびえたつ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築で、現在の本堂は
1592(天正20)年に再建された、室町末期を代表する建造物です。正面5間、側面6間、建物の
周りに藻腰を付けた入母屋造り、桧皮葺。高さが約34mもあるので、吉野を巡る折々にその威風
を見ることができます。本尊として3体の蔵王権現像をまつり、中尊の高さは7m余りの巨像。
堂内は内陣と礼堂からなり、松やチャンチン(ツツジの一種)など自然木を素材のまま使った
柱68本が林立するさまは豪壮です。また、内陣の2本の金箔張りの化粧柱や須弥壇は太閤秀吉
が花見の際に寄進したものといわれ、桃山建築の美しさを残しています。
みなさまこんばんは! 住まいの相談室兼技術管理部の松永です。
今回は、城郭建築の美、伝統建築お寺の美、それらの 石垣の美・木造の土台、柱、飛び梁や
板貼り、漆喰の壁、瓦の美。 。 。 やはり 鉄骨や、コンクリートの良さもありますが、やはり
日本建築は、在来の木造建築が、なぜか落ち着きます。
コアー建築工房 by :松永
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